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Bike NewYorkの思い出

覚え書き
iPad用に新しいキーボードを購入しました.その試しタイピングを兼ねて,本日はダラダラと意味のないことを思いつくままに書きます.二冊の本はこのキーボードで書きました.有線のUSB TypeA接続なので無理にiPadに使うのも使い回しが不便で、専用のやつを買ったのですが,キーピッチが狭くてさっきからタイプミスしまくりです.

さて、「今週こそはコロナから離れて別の話題を」と毎週のように思うのですが,残念ながらなかなか吹っ切れない状況です.むしろ,スルーするのが不自然というようにもなってきました.日本どころか世界規模でも,まだまだ終息には程遠いといった感じです.比較するようなものではないですけれど,これでも日本の状況はアメリカに比べればましです.被害もアメリカには遠く及ばないのはせめてもの救いです.WorldMeterを毎朝見ることが日課になっていて,世界のNew Casesは多い日でも10万人程度だったのですが、今朝は16万人を超えてました。それというのも、一時は2万人以下にはなっていたアメリカがの感染者が4万人を超えていることに加え,現在第3位のインドが猛追しているからです.とはいえ、アメリカが他国をぶっちぎって不動の1位の座は当分変わらないでしょう.何しろ日本の一日のNew Casesを軽く超えるNew Deaths を出している国です.ニューヨーク州の感染状況は比較的落ち着いてきているとはいえ、あの科学や医学が進んだアメリカが何故?と不思議に思う人が多いのではないでしょうか.

いまだに日本とアメリカ(あるいはヨーロッパ諸国)とで状況に大きな差があるのかが謎とされています.BCG仮説なんてのもありましたが,複合的な要因として文化がからんでいるのでしょうか,いずれ明らかになるのだと思いますが,最優先で究明する価値がある研究課題です.民度だとか衛生観念だとかがベースになるのはなんとなく予想がつきますが,はたしてそれだけでこのような大きな差が出るものなのか.マスクをすることへの拒否感なども指摘されていますね.彼らはマスクというよりも口を隠した人物に警戒感を持つようです.西部劇の悪者はマスクで口を覆っています.そのくせサングラスで目を隠すのは問題なしという,目を隠すことを嫌う日本人とはやはり異文化なんだと思います.異文化といえば,よく例に引かれるのが、顔文字の違いです.日本の顔文字は(^_^)や(>_<)に代表されるように目で表情を表すものが多いのですが,アメリカで典型的な顔文字は:-)や:-oのように口で表情を表すものが多いのです.
心理学では口元を見て何を話しているかを判断する読唇についての研究がなされています.数年前にオックスフォード大学の研究者がディープラーニングで90%以上の精度を持つという機械学習アルゴリズム(LipNet)が開発されています. 現在この研究がどうなっているのかフォローしていませんが,この前読んだ日本語への適用についての論文では使えない(人より劣るという意味で)という結果だったように覚えています.因みに,人間の読唇術の精度は50%だそうです.Zoom会議で,Googleの音声認識を使って字幕を自動で出すことなども既に結構な精度で可能ですが,LipNetと組み合わせることでより精度を向上させ,手話の代替としての活用が期待できます.LipNetでは,口の形の画像認識に加え,会話の前後の文脈を情報として推定に使う機械学習のアルゴリズムを採用しています.このため,発音を口の形に依存しない日本語の場合は,上述の論文のように確かに適用困難かもしれません.例えば,東北地方のある地域など,「けけけけけ」で「貝を買いに来てよ」という意味になるらしいです.ここまで極端でないにしても,日本語ではイントネーションが重要な言語であるのは間違いありません.
マスクをするから感染が抑えられているのだとしても,それだけで感染を完全に防げるわけではありません.所詮は自分で状況を判断して感染しないよう行動するのが唯一の解なんですけれど,どうも日本人は自己責任ということを重視する割には自分で判断することが苦手のように思います.このブログでは政治に絡むことは書かかないことにしているのですが,ネタとして「もう誰も緊急事態宣言はやりたくないし休業もしたくないだろう。一人一人の努力をお願いしたい。」と言った政治家がいます.要するに,三蜜のような感染のリスクの高いところに行くのは勝手だけど,自己責任でお願いします,と言うことなんですが,それを国民に丸投げしているという批判があります.まあ,正直役人のような政治家だなと思いましたし,この政治家を庇うつもりは毛頭ありませんが,山登りやマリンスポーツなどを考えれば当たり前の話かもしれません.事故を起こせば医療関係者の仕事を増やすと言う点では同じですが.それを禁止する事はできません.もちろん,自粛しなければ人に重大な危害を及ぼす可能性があります.とはいえ,可能性がどれだけのものが明確でない以上,それを強制的に押さえ込みべきという「線引き問題」が発生します.ご存知のように「線引き問題」政治だけでは解決できません.とはいえ,日本人は自分の判断よりも秩序という世間様を重視するので,誰も線を引けないのが今の状況でしょう.
自己責任というと今でも思い出すのは,私が最初の米国赴任で家族を空港に迎えに行った時のことです.その日が初めてのマンハッタンだったので,大枚はたいてタクシーで迎えにいきました.タクシーのドライバーに案内してもらって空港まで歩いて行ったのですが,タクシーの運転手は信号を全く無視します.いいの?と聞くと,さもあらんとばかりに「ここはニューヨークだぜ.」と. 私はそこでアメリカがどんな国なのか分かったように感じました.そのとき感じたアメリカを,その後の8年年の長きに(結果として)渡ったアメリカ生活で検証することができたように思います.英語のresponsibilityは日本語の責任とは別の意味があります.response+abiiityですから,何事かに自ら反応、対処できる能力のことです.責任とはちょっと違う.日本語の責任はどちらかといとobligationが近いような気がします.アメリカでは何事かに自ら考えて対処することが求められるのですが,日本人はこのことが苦手のように思います.信号さえ守れば安全というのは素晴らしいとは思いますが,実戦,特に今のように社会が混乱している状況では役に立たないことも多いものです.
思い起こせば,私が現地で見たアメリカ人はびっくりするくらい衛生観念が希薄でした.よく覚えているエピソードを2つ.一つ目はバイクニューヨークという自転車の一大イベントに参加した時のことです.もちろん今年は中止ですが,日本語からも参加申し込み可能です.正式にはTD Five Boro Bike Tourとよびます.Boroってのは行政区画のことで,マンハッタン,ブルックリン,クイーンズ,ブロンクス,スタテンアイランドの5つを数万人もの自転車乗りが巡るという大きなイベントです.(冒頭の写真はその時のものですが,おそらくブロンクスでしょうか?)出発地点のマンハッタンまで輪行したのですが,その帰りの電車の中でやはり輪行で参加した陽気な典型的アメリカ人グループと知り合いになりました.そして別れ際に窓越しに手を振ってくれたのですが,イベント参加後でハイになっているその中の一人の男性が映画のシーンのようにガラス越しのキスをしてくれたのです.申し訳ないことに私は応じませんでした.それというのも,アメリカのマンハッタンに乗り入れている電車ですから,日本の電車とは大違いで車内は汚く,そのガラスもとてもとても汚いのですよ.彼の方は内側なのですが,おそらく内側のほうが別の意味で汚い.このコロナ禍で,彼は無事でいるだろうかと思っています.もう一つはファミリーレストランでのこと.近くのテーブルにいた赤ん坊がおしゃぶりを床に落としてしまったのです.お母さんがすぐに拾ったのですが、どうするのかと見ていたらなんとコップの水に軽く濯いで赤ん坊の口にまた咥えさせたのです.抗菌グッズに囲まれている日本のお母さんなら卒倒するだろうというような光景でした.
もちろん,この経験だけでアメリカ人の衛生観念を判断するわけではありませんが,握手や抱擁などの習慣などを考えても感染症にはかかりやすい文化なのだとは思います.そういえば,これは誰も出していない仮説と思いますが,体毛の濃さも関係あるのではいかと思ってます.イタリア人やイラン人の男性の髭はいかにもウイルスが付着しそうです.それを手で触ることで更にそれが鼻に移動するなんてのもあるんじゃないでしょうか.
やはりキーピッチが少し狭いので、さっきからミスタイプしまくりで,時間がきてしまいました.やはりキーボードは同じものを複数のPCで使い回すのが一番かもしれません.同じタイプのキーボードのBluetooth版も出ているので購入を検討します.
それではまた.
統計的問題解決研究所

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