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コミュ力とは何か?

統計学

ブログとはそもそも日記のようなものなので,思ったことを書けばいいのでしょうけれど,思ったことをそのまま発信するのは気が引けるものです.結果として誰かを批判するように取られてしまうのを恐れるからです.そんなわけで,あまり時事ネタは取り上げないようにしているのですが,たとえ少しでも統計に関わっていれば話は別です.
今週目にとまったのは,順天堂大学の入試問題についてのニュースです.朝日新聞デジタルによれば,「順大入試、女子を一律に減点「コミュ力が高いため補正」」という見出しで以下のように報道されていました.

順天堂大(東京都)は10日、医学部入試をめぐって設置した第三者委員会から「合理的な理由なく、女子や浪人回数の多い受験生を不利に扱っていた」と指摘されたと公表した。

具体的には,2次試験の面接で女性の点数に負の下駄を履かせていたとのことです.その理由が「女子はコミュニケーション能力が高いため、補正する必要がある」からとのことです.補足すると,この差は「18歳の時は女性が高くても、20歳で一緒になる」のだそうです.この「客観的データ」に基づいて,18歳の男性の不利にならないように面接評価を補正したとのこと.この「客観的データ」というのは,大学側が第三者委員会に提出した,その旨の医学的検証を記載した米大学教授の1991年の論文と書かれてあります.朝日新聞がその論文を確認したところ,面接時のコミュニケーション能力について論じた部分は見当たらなかったそうです.記事には論文についての詳細はありません.「有料会員になると続きをお読みいただけます。残り:660文字/全文:1311文字」とのことで,660文字にそれが書かれているのかもしれません.無料会員でも1日1本まで有料記事が読めるのですが,朝日新聞のサイトはトラッカーが多い(確認できるだけでも5つ)のであまり立ち寄らないようにしています.(因みに,読売新聞も毎日新聞も1トラッカーしか確認できません.)

どうやって「コミュ力」のような得体の知れない能力を医学的なエビデンスの検証対象としての俎上に載せるのか興味があり,わたしもその論文を読んでみたいと思ったのであちこち調査して,ようやくその論文を見つけました.幸いオープンになっています.Cohn L.D.(1991), Psychol Bull. Mar;109(2):252-66 Sex differences in the course of personality development: a meta-analysisという題名からもわかるようにメタアナリシスの論文でした.著者はテキサス大学のCohn先生です.

この論文を読むのに必須な前提知識がありまして,それがLoevenger’s Systemと呼ばれる自我発達過程についての理論です.子供から大人へと登る階段とでもいいましょうか.1976年の論文(Ego Development: Conceptions and Theories)では衝動的から自立的に至る7つの段階(定義の違いによっては9つまたは10)が説明されています.重要なのはこの理論では各段階と年齢とを紐付けないので,大人でも衝動的段階に留まったままの人もいるかもしれないということです.

Cohn L.D.(1991)では,この階段の登り方に性差があるかを調査した65の研究(113の比較データ)をメタアナリシスにかけたものです.どのように自我発達段階を数値化したかを読んでみると,WUSCT(Washington University Sentense Completion Test)という,文の出だしを与えてそれに続く言葉を考えて文章を完成させるテストを基にしているようです.例えば,”If my mother…”に続いて,“…hadn’t married so young and had less than five children…”などと書いたとして,それをマニュアルに従って採点します.このテストには色々なバージョンがあるようですが,ジェーン・ロエビンガー先生の考案したオリジナルでは36ある文章完成問題の総合点数TPR(Total Protocol Rating)スコアという1つの指標で発達段階を表現します.メタアナリシスでは男女間の差を,効果サイズ(Hedges’gが計算できる情報がなければCohen’d)で統合的に示したのです.エビデンスレベルとしては高い研究と思います.JMPでどうやってこれらの指標を求めるかについてはいずれこの場で書きたいと思います.

その結論としては,女性の方が男性よりも青年期においては(自我発達段階において)進んでいるが,大人になるとその差は消滅するというものです.言葉を変えれば「女の子の方がおませだ」という一般に言われていることを科学的に検証したといえます.
問題は,この結論から大学入試(高校卒業)の時点で女性の方がコミュニケーション力があると言えるかということですね.いくつか思ったことを列挙します.

1.発達段階とコミュニケーション力の関係については重要なキーワードがありますが,1つはego centrismです.自己中心主義と訳すこともありますが,今の文脈ではピアジェが児童心理学で用いた自己中心性のことです.よくあげられるのが,幼い子供が目をつぶって相手からも自分が見えなくなると思い込むという例です.即ち,自分の主観的視点でしかものを見れないという幼児期の特徴を意味しています.ego centrismをコミュニケーション力の指標とするならば,自我発達段階が進んでいる女性の方が(ある年代までは)コミュニケーション力はあるとは言えます.一方,Cohnの論文には,先行研究の知見として”perspective talking appears no greater in girls than in boys.”という記述があります.perspective talkingとはthe ability to accurately label the feelings of another person(他人の気持ちを正確にラベル付けする能力)と書いてありますが,日本語では視点取得と訳され,相手の立場に立って考える対人的な共感的過程のことです.この能力は男性よりも女性の方
いずれにせよ,Cohn論文には,コミュニケーション力という言葉が直接出てくるわけではありません.この点は朝日新聞の指摘通りなのですが,問題はそこにはなく「自我発達段階が進んでいるからコミュニケーション力がある」というピース(エビデンス)なしには順天堂大学のロジックは破綻しているということです.探せばあるのかもしれませんが,それなしにはロジックの中抜き論法にすぎません.特に初段に権威を持って来ればその威力は絶大だという例になっています.

2.WUSCTはジェーン・ロエビンガー先生がそもそも女性を対象として開発されたテストであって,男性や日本人に対しての妥当性は別の議論になります.男性向けのマニュアルや日本人を対象としたSCTも開発されていますが,それは90年代後半になってからのことなので,Cohn論文の対象となった研究で発達段階の(少なくとも日本人の)性差を議論するのは疑問が残ります.

3.性差があったとしても,それは大人になれば消失するという結論です.それでは,どの時点で消失するのかについて考察もされていますが,高校生の間は差は安定しているもののgrade13(米国では18−19歳)で急激に減少すると示されています.もしかしたら,この発達段階の性差のダイナミズムは大学入学という節目による環境の変化を反映しているのかもしれません.何れにせよ,20歳で消失するというのではなく,20歳では既に消失(低減)しているというのがより正確です.従って,面接試験を受ける女性(特に一浪でもしていたら)不利を被っているだけということになります.

4.仮に,順天堂大学のロジックの根拠を認めたとして,そもそもコミュニケーション力が高い方が医師に向いているのではないでしょうか.不公平をもたらすというのであれば,面接を止めれば良いのでは?

5.計測技術の技術者としてこれだけは譲れないのが,補正という言葉は使わないでいただきたいということです.減点とかペナルティとかハンディキャップとか他に適切な言葉は色々ありますから.

この件についてわたしがどう結論するかはここには書きません.とはいえ,朝日新聞の記者が読んだというだけで納得せずに,自分でソースを探し出して自分で理解しようとしました.勉強になったこともたくさんあります.これが統計リテラシーの基本だと思うのです.

それではまた来週.

この記事を書いた後に奥村先生のtweetがありましたのでご参考まで.

統計的問題解決研究所

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