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クラスターとかオーバーシュートとか

覚え書き

政府や都知事の会見でも度々登場するカタカナの専門用語に,河野防衛大臣がTwitterで苦言を呈したそうです.「感染症用語、カタカナ語控えて 河野防衛相が提起―新型コロナ」確かに3月22日にこのようにtweetされていました.

クラスター 集団感染
オーバーシュート 感染爆発
ロックダウン 都市封鎖
ではダメなのか。なんでカタカナ?

なるほど,一理あります.専門家はともかく,意味が曖昧なまま使っている人やメディアも多いようです.

リングポールに颯爽と立つJMPくん

JMPでクラスターといえば,クラスター分析です.分析メニューの「クラスター分析」には「階層型クラスター分析」「K Meansクラスター分析」「正規混合」「潜在クラス分析」「変数のクラスタリング」の5つのコマンドが並んでいますが,このうち重要なのは最初の2つです.両者の違いは拙著を参照していただくとして,要するに,ここでのクラスタリングはサンプル(observation)を同質なグループに分割することを意味します.ですから,クラスターは単なる集団ではなく,同質であることが重要な要件です.従って,この意味ではクラスターを「集団感染」とするのは誤りで「感染集団」と言い換えても不十分です.通勤電車で乗り合う赤の他人と違い,そこには,会話とか身体の接触とかを伴う何らかの親密なコミュニケーションが示唆されるからです.ここでは「コミュニケーションを伴う集団における感染」とでも意訳しておきます.

その次のオーバーシュートでは,普段聞きなれない言葉かもしれませんが,私が思いついたのは,レタリングのオーバーシュートです.特に英語のタイポグラフィーに多いのですが,マス目にぴったりとは収めない文字が多くあって,そのはみ出し部分をオーバーシュートと言います.普段は気づかないかもしれませんが,それは当然で,その字を目立たせないためにオーバーシュートさせているからです.例えば,Oの文字はオーバーシュートさせないと両隣の文字より小さく見えてしまい,目立ってしまうのです.具体的には,「TOSHIBA」のOがそうです.HPに掲載されているフォントで書いたロゴでなくて,商品についているブランドロゴのO(確かSも)はベースラインの上下から少しはみ出ています.「SONY」のSとOも同様で,こちらは知っている人なら目視でもはっきりわかるくらいオーバーシュートが大きいですね.あのロゴの美しさは,こんなところに秘密があります.

ということでオーバーシュートとは,何らかの基準があってそれを超えた部分あるいは現象を呼びます.そういえば,温度制御でも(一時的に)温度の切り替わりの際などに,設定値を超えること(あるいは超えた部分)をオーバーシュートと呼びますね.今の場合,感染者の増加が予想(あるいは基準)を超えることを意味します.感染爆発という日本語ではこのニュアンスが出ません.感染者が予想を超えて増大することをオーバーシュートと専門家が読んでいるわけです.ですから,そこには予想や予測,あるいは何らかの基準値があることが示唆されています.日本語では「思ったより行き過ぎた」というところでしょうか.応用例として,「満足度の最大化」で求めた最適値の信頼区間に実測値が入らなかった場合をオーバーシュートと呼んでも良さそうです.

ロックダウンという言葉を聞いてまず思い出すのは,私の場合プロレスです.数年前まで,アメリカのプロレス団体にTNAというのがあったのですが,ここの興行名称がロックダウンといって,いわゆるケージマッチで有名でした.檻の中で死闘を繰り広げるわけですが,この意味ではロックダウンは,監禁のように外から危険(人物)を閉じ込めておくというニュアンスです.因みに,ケージマッチは日本語では金網デスマッチと言われているように,よく見るひし形の金網を使いますが,アメリカではパイプを檻のように縦に並べた檻をイメージしています.

もう1つ,OSカーネルのロックダウン機構というのもあります.この機能は昨年Lunuxにもオプションで実装されることが発表されました.この機能をONにすると,rootアカウントであってもカーネルコードとのやり取りに制限が加えられるようになります.仮に,ウイルスなどがrootアカウントを乗っ取って制御不能に陥った場合でも,OSに対するセキュリティが確保できるという仕組みです.こちらのロックダウンは,学校でロックダウンがあったという状況でも使います.内側から教室に鍵をかけて(銃を持った)危険人物が中に入ってこないように避難するという意味です.蛇足ですが,ロックアウトというと車の中に鍵を忘れて締め出されてしまうような状況です.

今回のようにロックダウンを都市封鎖と訳すると,封鎖には何かを守るという意味合いが薄いので,セキュリティという大切なニュアンスが出せません.頭に都市とわざわざつけるのもどうかなと思います.他の道府県の立場からは東京都を監禁する,あるいは東京都の立場では監禁される,ということになるわけですが,肝心なのは世帯ごとにロックダウンする心構えだと思います.そこで,都市封鎖という日本語よりも「自宅に避難する」あるいは「外出禁止要請」と意訳してみます.

日本語に訳してはいけないという意味ではないです.よく考えて訳された日本語は素晴らしいです.知られている例を挙げると,アダム・スミスの『国富論』に出てくる有名な一節「神の見えざる手によって導かれた」は原著では「led by an invisible hand」なので,おそらく当時の翻訳者が背景にあるキリスト教の思想を汲み取って「神の手」と意訳したのでしょう.その他,創作された日本語として西周先生の演繹と帰納については,以前このブログでもお話しした記憶があります.肝心なことは,言語は必ずしも一対一対応になっているわけではないので,カタカナ語を使う際は慎重にという当たり前のことです.相手にどのように伝わるかを意識することが肝要です.オーバーシュートを通訳の方が英語でovershootではなく, surgeとされていましたが,この意味では流石プロと感服しました.surgeというと怒涛のとか急激なとかいうニュアンスが加わります.但し,想定を超えたというニュアンスは出ません.

専門家がカタカナを使うのは,(下手に)日本語に訳した場合に,不正確になってしまうことを恐れてのことです.もちろん,一般市民にカタカナでは伝わらないというのも全く正しいと思います.ですから,誰かが正しく通訳をしなければなりません.専門家にもその責任はあるのですが,この点を自覚されていない方も多いようです.事実,オーバーシュートを「医療がきちんと重症の患者に提供でいないような状態になったこと」と東京都新型コロナウィルス感染症対策有識者会議のメンバーがTVで語っていたりしているので,専門家の間でも用語についての認識が十分共有できていないようです.専門家でも難しいのに,政治家にそれを期待するのは無理でしょう.となるとマスコミでしょうか.いやいや,それも期待できないですね.となると,それはある程度の科学リテラシーを備えた私たちのような一般市民の役目だと思うのですが,皆さんはどう思われますか.

それでは,また.

統計的問題解決研究所

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