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基準について考える

統計リテラシー

コロナ感染拡大の当初であればまだしも,1年以上になるのに今だにお役所のデータの扱いがなってないと思うことがあります.例えば,この記事.

重症者の集計、基準はバラバラ 厚労省が修正して大幅増

リンクを踏みたくない人のために内容を書くと,コロナ重症者の厚労省基準が,(1)集中治療室(ICU)等で治療(2)人工呼吸器を使用(3)体外式膜型人工肺(ECMO(エクモ))を使用ということだったので,今までHCUの患者が集計から抜け落ちてたから,今度から入れた数字を発表するよ.ということらしいです.

で,その結果がこれ.大阪の重症者数がいきなり83名も増えたのはこのためです.何も知らないとびっくりしますよね.

あまり知られていないけど,ICUよりも重症度の低い患者をケアするHCUというのがあって,「High Care Unit」の略です.記事では「高度治療室」と書いてあるけど,「準集中治療室」と言ったほうがICUと一般病棟の中間という位置付けが明確になる.

医療報酬の基準としては,患者一人あたりの看護師数がICUは0.5人であるのに対し,HCUは0.25人とはっきりしているけど,患者をどちらに振り分けるかは,「重症化要因」とその「リスク度合い」によります.おそらく,医師独自の基準があって,病院によってまちまちだと推察します.実際,ICUとHCUを併設しているところもあるし,HCUだけのところもあります.

このようにHCUって運用上の定義が少し曖昧なので,それを重症化の基準に含めるか否かで重症者の基準も曖昧になっていたということです.国はどうしてもこの基準を明確にしたいらしい.個人的には,症状でランク分けするだけで十分だと.どこでどんな治療をしているかはそれに付随することなので,データとしては重要ではないと考えます.

去年の今頃は日本中が新たなルールに切り替わる途中だから仕方なかったとしても,今になって基準が変わると今までのデータの価値が薄れてしまいます.基準の変更はこれだけじゃないです.このブログでもコロナ関連のデータ処理をやったこともあったけど,データのクオリティが低くてやる気を失いました.

役所は基準が大好きだから,仕方ないのかもしれない.基準については,『統計的問題解決入門』のコラムにも書いたように,William Thompson Sedgwick(1855-1921)の言葉を思い出します.

“Standards are devices to keep the lazy mind from thinking.”「基準とは,考えることから人を遠ざける道具である.」

因みに,これは本人が言ったことの記録なので,本当に本人が言ったのかはわからない.ソクラテスの言葉のようなもので,本人が言ったか言わないかは重要ではないと思うけど.

基準はガイドラインという意味としてだけでなく,マニュアルと読み替えてもいいです.あるいは,教科書や常識とも.AIに勝つにはマニュアル通りの仕事をしないと確か先週書いたけど,要するに基準なしに自分で考えて行動することが重要なんだと.

実験計画では因子は質的でなく量的に考えることを諄いと思われようが言い続けてますけど,そのことにも通じるものがあります.製品の良否とは基準で二つのグループに分類することに他ならないのです.なぜ,その製品が不良となったのかを基準抜きで評価して,それを特性とすることで合理的な良いモデルが作れるはずです.

重症者についても,重症かそうでないかを分類するよりも,量的な指標として現状を把握すべきです.コロナで怖いのは,サイトカイン放出に起因した急性呼吸窮迫症候群(ARDS) ということは明らかなので,この場合,重症度の指標のP/F比などのデータで量的に示せます.

PはPaO2(動脈血酸素分圧)でFはFIO2(吸入気酸素)なので,その割合で肺のガス交換機能が評価できます.PF比にも正常値が300以上という基準があるけど,それは空気のFIO2が0.21mmHgだから,炎症性の基礎疾患のある人なら,PaO2が62.7mmHgの場合を準呼吸不全としているわけです.

医師のように一刻を争う状況では,あるいは素人にも正しく行動できるようにするためには,基準は必要なので,全ての基準を否定するわけではありませんよ.

それでは.

統計的問題解決研究所

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