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ページ数の制限に苦しむ

覚え書き

原稿を書き終えてから気になっていた箇所が色々とあって,それらに手を入れたりしています.書籍という媒体にはページ数という制限があることを今回今更ながらに思い知りました.どこで見切りをつけるのかが悩みどころです.「JMPではじめる統計的問題解決入門」は300ページを少し超えるくらいになりそうですが,栗原伸一(2011),『入門統計学』,オーム社が319ページですからほぼ同じくらいのページ数なので類書の中では標準というところでしょうか.

書籍にはページ数という制限があって,その中で厚い本薄い本いろいろあるわけですが,言語や国によっての違いもあるようです.アメリカに比べて日本の本は比較的薄いように思います.本棚をパッと見渡すと厚い本はほとんど洋書です.和書では松原始(2012)『カラスの教科書』雷鳥社が厚い本ですが,調べると399ページしかありません.特に理工系の本ではこの差は大きい(アメリカの本は厚い)ような気がします.例えば,Jesse Liberty and J.Mark Hord (1996), Teach Yourself Cplusplus in 21 Days, SAMSなどが目に付きますが,これが848ページの本です.プログラミングの本だから厚いというわけでもないのは,いわゆるK&R本の改定版は272ページしかありません.英語だと文が長くなるという事情もあるかもしれませんが,Amazonで調べると日本語版のB.W.カーニハン,D.M.リッチー(1989)『プログラミング言語C 第2版 ANSI規格準拠』共立出版,は360ページだそうですから,そういうわけでもありません.過去に読んだ本の中でとりわけ厚かったのが,Taguchi et al.(2004),Taguchi’s Quality Engineering Handbook,Wiley-Interscienceでなんと1696ページあります.しかもこれがハードカバーの本なので読む以外にも使えるモノなのです.日本の品質工学関連の本で武器(あるいは防具)になる本なんてありません.

思うに,アメリカでは丁寧に説明するためにはページ数が増えても仕方ない,また読者もページ数の多い本は親切丁寧な本であるというコンセンサス(合意形成)がなされているのではないでしょうか.アメリカの出版社も本は厚い方が売れると判断しているのか,無意味に本を厚く見せている節さえあります.多分に文化の違いもあるでしょう.日本では本は通勤時間に電車の中で読む人も多いですし,日本の住宅事情では厚い本は敬遠されるのは仕方ないですね.

そもそも英語の文章を英語にすると膨張するのでしょうか.同じようなことを考えた方がいらっしゃいました.本の1ページあたりの情報量を英語と日本語で比較するというブログ記事では,「Random Houseから出ている村上本に限って言えば,1ページあたりの情報量は,英語の方が日本語の2倍近くある.」と結論なさっています.少し突っ込みますと,この回帰分析ではXを日本語,Yを英語とする方が推定の方向としては正しく,また英語でも日本語でも0ページの本は変わらないはずですから,原点比例で回帰直線を引いた方がより正確なR2乗を求められたように思います.それと1ページの大きさ行間や余白等のレイアウトなども考慮すべきですし,何よりもフォントサイズの影響は無視できません.漢字はローマ字よりもフォントサイズを大きくしないと読みにくくなるということです.と,突っ込みを入れましたが,最初にこのような分析をしていただいたこと対して著者に敬意を表します.

さて,論文要旨を英訳したときなどの自分の経験からは常々日本語と英語の情報量は一文字あたりでは日本語の方が大きいと思っています.日本語では「ていねい文」にしなければかなり端的に情報を込めることができます.例えば,新幹線の車両先頭に乗ると目に付くあの表記,東海道新幹線車内・駅における案内表記の追加について.具体的には,このPDFの別紙1にある一番左の「客室内荷物注意」を見ると「ああ,あれか」と思う人もいるでしょう.三つの文章の中で最初の「こちらに荷物を置かれた場合には,乗務員が通りました際にお知らせください.」だけが英語のほうが「Please inform the crew when leaving your baggage in this area.」と少し短いようですが,英訳では(乗務員が)通りました際にはという部分が入っていません.この情報だけならば,日本語で「ここに荷物を置いたら乗務員に知らせてね.」ですみます.

ますます脱線していくのを自覚しつつ,三番目の文の比較は面白いですね.日本語では「自分の責任で管理せよ.」とあるのが,なぜか英語では「紛失やダメージあっても我々の責任じゃないからね.」となってます.文章って情報を伝えるだけではないのだとつくづく思います.その下の中国語では日本語の直訳になっているようですから,英訳の際に文化の違いを意識してあえて直訳していないのであれば,さすがですね.

それで何がいいたいのかというと「JMPではじめる統計的問題解決」でも書籍にするにあたり大幅に原稿をカットせざるを得ませんでした.ドラフトでは第8講まであったのを5講にしています.具体的にはドラフトでは第6講として独立していたものを大幅に簡略化して第5講の後半にマージしています.第5講が急ぎ足になっているのはこれが理由です.その他ビッグデータとノート術に関した講を削除しました.内容に不満があるわけではないので,これらについてはそのうち公開していきたいと考えています.

独立した講としては書いてはいませんでしたが,その他にも削除した記述があって,例えば「問題の発見」と「掟破りの問題解決」という文章がありました.これらについては機会を見つけてこのブログでお話ししたいと考えていますが,本日は長くなってしまったので,次回以降で簡単に紹介することにします.

統計的問題解決研究所

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