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AI vs. 教科書が読めないこどもたち(その1)

覚え書き

 本日は,新井紀子(2018)『AI vs. 教科書を読めないこどもたち』東洋経済新聞社について.少し前に読んでいた本なのですが,ブログに書くのを見合わせていました.迷った末にやはり書くことにします.というのも,この書籍のp73の表1-1に「10-20年後になくなる職業トップ25」というリストがあってその第4位に「コンピューターを使ったデータの収集・加工・分析」とあるのを見た人から「JMPを使えるようになっても将来は役に立たなくなるのではないか」と聞かれたからです.確かにIBMのWatsonはSPSSを使って統計分析をしますし,そのような懸念も出てくるかもしれません.でも,これには著者の勘違いがあると思われます.このことについてお話しするために,本日は簡単にこの書籍をレビューします.

この本の構成は大まかには,東ロボくんとRST(Reading Skill Test)という著者が関わっていることに絡めて,前半はAIの一般的な解説,後半は中高生の読解力不足について警鐘を鳴らすという構成です.東ロボくんはご存知の方も多いでしょうが,2021年度の東京大学入学試験突破を掲げていたAIプロジェクトです.断念したとはいえ,MARCHレベルであれば入学可能なところまで漕ぎ着けたということですが,異なった見方をすれば,現行の入試制度では理解力のないロボットでも合格してしまうことでしょう.東ロボくんの示したことは「人工知能はすでにMARCH合格レベル」という表紙の惹句にあるのではなく,偏差値という指標が人の能力を測る物差しとしては不十分という見方をむしろすべきと思います.偏差値は標準偏差を一定の形式で規格化した数値に過ぎないので,何の標準偏差で能力を測るかということがより重要なのです.
ブログに書くのを迷っていたのは,基本的に著者の意見には同意すること多々あって応援したいのにもかかわらず,幾つかの点で批判的になってしまうかもしれないことを恐れたからです.売れている書籍なので,それだけネット上では批判的な書評も目につきます.確かにAIの部分に関しては,わたしも説得力が足りないように思いました.フレーミング問題のようなAIの限界についての指摘には度々言及されていますが,それが「弱いAI」というものですから当たり前のことです.「強いAI」は実現不可能(少なくとも当面は)ということの論拠に「弱いAI」の欠点をあげても仕方ありません.とはいえ,マスコミなどがAIというとき,AIとAI技術(AI要素技術の方がより的確と思います)を混同しているという指摘はその通りと思いますし,シンギュラリティなんてこないと断言されているのは個人的には好感を持ちました.
いずれにせよ,この本をAIの本と思わなければ些細なことです.それよりも興味深いのが「中高生の読解力」の低下を訴えている後半部分です.とはいえ,著者の主張が強いこともあってやや強引で,東ロボくんの失敗を中高生の読解力へと運ぶロジックはフォローできませんでした.著者のロジックは次のようなものです.
1.近い将来,AIが人間の強力なライバルになる.但し,AIが人間の仕事をすべて肩代わりすることは当面はない.
これは著者が東ロボくんの失敗から仮定したことです.これは私もそう思いますし,東ロボくんとは関係なく,多くのAI研究者がそう考えています.シンギュラリティを最初に唱えたカーツワイルでさえ,究極の楽天家だという別の理由ではありますが,AIが人間の敵となる未来は描いていません.

2.従って,今の中高生たちには「AIにできない仕事をするスキル」が必要である.
これは中高生に限ったことではないとは思いますが,同意です.

3.そのスキルとは,読解力を基盤とするコミュニケーション能力や理解力である.
ここに論理の飛躍があります.なぜ読解力だけを強調しているのでしょうか?仮に,読解力と偏差値との相関があるのだとしても,そもそも偏差値だけが能力の指標として適当なのでしょうか?とても重要なポイントの割りには説得力がありません.東ロボくんと言う偏差値を指標としたAIの開発で得られた仮説を,実際の場に適用するにはもう少し慎重な考察があっても良いように思いました.
著者が孫引用している論文,C.B.Frey and M.A.Osborne (2013), “THE FUTURE OF EMPLOYMENT: HOW SUSCEPTIBLE ARE JOBS TO COMPUTERISATION?” は,今後20年で現在のアメリカの雇用者の47%が就く職業がコンピューター化により消滅すると言う予測がセンセーションを巻き起こし,メディアでも盛んに取り上げられました.p37のFigure IIIはどこかで見たことありませんか?この論文の最後の一文(p45)には次のように書かれています.
For workers to win the race, however, they will have to acquire creative and social skills. 
ここで言うcreative skillには説明が必要です.この論文ではO∗NETという米国の職業データベースを参照していますが,Table IにCreative Intelligenceの定義が書かれています.それによれば「The ability to come up with unusual or clever ideas about a given topic or situation, or to develop creative ways to solve a problem. 」と言うことで日本語での創造性とは少し違います.
わたしは著者の説くマニュアルや教科書程度の読解力では,creativeとはむしろ対極にあるような気さえしています.ここは書き出すときりがないのでやめますが,トム・クルーズが公表したことで知られるようになったディスレクシア(識字障害)の人がCreative Intelligenceを持っていないとは思えないのです.更には禅における「不立文字」の思想とも相容れないように思います.

4.ところが,日本の中高生の読解力は危機的である.
これは著者が開発した基本的読解力を調査するRST(Reading Skill Test)からの結論です.これについては後述します.(長くなったから来週にします.)

5.しかし残念ながら,読解力を高める方法はない.
著者は,精読に何らかのヒントがあるのではないかと書いていますが,読む能力は読むことだけでは向上しないように思います.ですから,著者が社団法人を設立してまで普及を願うRSTの価値は問題の解決には直接は繋がらないでしょう.
わたしは読解力を高めるには論理的な文章を書くことが一つの方法と考えています.例えば,マニュアルは読むことよりも書くことにこそ価値があります.そのマニュアルはそのマニュアルが役に立つものであるかを他の人に評価されるのが定めです.そのフィードバックによってマニュアルを書いた人の読解力は磨かれる「ああ,なるほどここはそうも読めるね.」のように.そう考えています.

著者の主張には完全には同意はしていませんが,現行制度や官僚的なAI推しの風潮に反旗を翻し,アクティブ・ラーニングは絵に描いた餅とまで切って捨てる著者の舌鋒には心地よいものさえあり,今後の活躍に期待しています.冒頭の「コンピューターを使ったデータの収集・加工・分析」の仕事が将来なくなるのか?についてのわたしの見解は次週に回すとして,ブログを書く制限時間が来てしまいましたので,今週はここまでにします.
それではまた.


統計的問題解決研究所

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