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ワンダと巨像:禁断の果実[漫画日記]

不朽の名作の誉れ高いワンダと巨像。あり得ないほど体格差のある敵の弱点を探して倒していく。この概要を聞いただけでワクワクしたが、なにぶん運動神経が残念なので難しいんだろうなーと腰が引けてPS4で初めてプレイするに至った。

崖を上って第1の巨像のいる高台に足を踏み入れて、向こうから木を揺らす勢いで黒いでかい何かが近づいてきた時の衝撃を今も忘れない。「こんなのどうすんだよ!」と素で叫んでいた。そして誘導されるままに奴の足に飛びついて、すごい振動とパワーに気圧されながら、何度も握力切れで失敗しながらもなんとか巨体をよじ登って頭部に斬りつけて倒した時の、「ほんとに倒しちゃったのか!」という驚きと興奮ときたら。

最初の敵はチュートリアルを兼ねて簡単だったが、第2、第3の巨像と進むに連れてどんどん難しくなっていく。下手なのでつらい。が、次の巨像はどんな奴か、どうやって倒すんだろう、と、楽しみ過ぎて止まらなかった。時のオカリナでトラウマになっている流鏑馬さえも、次に進みたいという情熱だけで乗り切った。

1体倒すと神殿に戻って、また次の相手を探しにいく。景色はどこまでも美しく、どこを見ても美しく、時折視界を横切るトカゲやタカのような小動物と愛馬アグロに跨る自分以外誰もいない。移動中にプレイヤーをイラつかせるという職務を忠実に果たす雑魚もいない。吹き飛ばされそうなほど孤独だけど、そこには不思議な安らぎがある。

気が向いたらトカゲを構ったり木ノ実を食べたりして体力や腕力を上げたりもできる。が、巨像を倒しながら周回していればどんどん上がるので、あくまで趣味的活動になっている。そう、この世界でワンダは巨像を淡々と倒していく、という大きな目的以外の何も強制されない。少女を助けるために来たのだから当然なはずなのに、それが何とも新鮮であることに気づき、驚かされた。

そうだ、いつのまにかRPGのお約束のようなものにどっぷり洗脳されて、困った人を助けるどころか目的とも世界観とも全く関係ないミニゲームをやらされることに何の疑問も抱かなくなっていたのだ。ワンダと巨像は、そうした本質以外の全てをばっさりと斬り捨てた。だからこそエポックメイキング的傑作と賞賛されるのだろう。

しばらく遊んでいると気づくのだけど、倒した敵の風化した遺骸の前で跪くと「回想」としてもう一度戦える。神殿に戻って崩れた巨像のあった場所ではタイムトライアルに挑戦できる。苦手な敵を集中的に特訓できるのが嬉しい。普通のゲームでは1回倒したボスは二度と出てこないので、もう一度戦いたければもう一周ということになる。直前のセーブデータに戻ってもいいんだけど、ハードセーブに依存するのは興ざめなので、できるだけやりたくない。トワプリは砂漠の処刑場のボスが好きで、あれをやりたいがために何十周もしたものだ。

思えばゼルダのボスは倒し方が分かるまでが楽しく、わかってからも喰らわず倒せるように、究極的には適度に喰らいながら映画の英雄のように倒すようにと練習した。だがそのためにまた各種ミニゲームやら川下りやらスノボやら釣りやらパズルやら全部やらなきゃならなかった。楽しいボス戦のために間に立ち塞がる雑多なあれこれに耐えていた。ワンダはどうだ。楽しいボス戦だけ遊べるようなものではないか。雑魚もいない、ハートの器もない、釣りもない。なんという解放感だろう。

最初のうちは巨像を倒すだけがやっとで、タイムトライアルなんて誰がやるんだと思っていたが、1つクリアできると嬉しくて結局全部やった。女王の剣が青く光って嬉しいし半端なく強くて報われる。PS4で追加されたというドルミンの剣も、せっかくの美しい世界を隅々まで訪ね歩くのが楽しくてコツコツやった。抜くと邪悪な黒いモヤモヤとともに禍々しい声が聞こえてゾクゾクする。

そして今も、時々無性に毛むくじゃらの巨像をよじ登りたくなる。久しぶりにやると操作を忘れていて、振り落とされたりしてまたアツイ。

思い切り楽しんだワンダだが、一つだけ困った点があるとすれば、それはゼルダに戻れない体になってしまったことだろうか。割とゼルダ信者だったのにワンダをやったらスイッチ買うのやめてしまった。BOTWはシリーズ最高傑作だというが、瓶集めとか想像しただけでお腹いっぱい。スイッチ自体はシルクソングのために買うかもしれないけど強制ミニゲームは当分無理だ。

ワンダと巨像:禁断の果実[漫画日記]
自由って素晴らしい

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