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瓢箪から駒

JMPではじめる統計的問題解決入門

某社から講演を依頼されて来週話すんだけど,その内容を考えてるところです.今回はお題が与えられているので,過去に使ったスライドをできるだけ使いまわすにしても,8割は新たに作ることになるので,少し難儀してます.

お題にはイノベーションが絡むので(イノベーションが主題ではないですけど),『統計的問題解決入門』にも書いた,パレートフロントの話もしようと思ってます.本書をお持ちの方はP267ですね.ここでは,東京ー大阪間の移動手段のパレートフロントを示していますが,この話は好きでよくやってます.

ようにするにパレートフロントを前進させることがイノベーションなのだと言っているわけですが,この話をするときにいつも頭のどこかで引っ掛かるものがありました.今回,それはなんなのかを熟考した結果,思いついたことがあるので本日はその話を.

突然で恐縮ですが,「瓢箪から駒」という諺をご存知ですよね.思いがけない結果になることを意味しているわけですが,小学校低学年の頃,この諺を「瓢箪から独楽」と思ってたのは秘密です.大きい瓢箪なら小さい独楽を入れることもできるはずだから,そんなに珍しい事なのかとは訝っていましたけど.

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この諺は,中国の唐の時代の仙人,その名も張果老が由来です.道家八仙人の一人だそうで,白いロバに乗って遠くまで出かけ,一休みする際にはロバを瓢箪の中に入れていたということです.(このロバは折り畳み式だっていうことだけど,どんな構造なのか?)瓢箪の中に別世界があってそこに仙人が住んでいる,なんていう中国の仙人思想が根底にあるんでしょう.

この手の話で私が好きなのがあって,瓢箪を除いたら,そこに小さい老人がいて囲碁を打っていて,老人に招き入れられて瓢箪に入り,そこで囲碁の相手をしたそうです.遊び終わって瓢箪から出てみれば,元の時間から何十年も経っていた,というよくある話.

張果老が休み終わって瓢箪からロバを出したという説話が今に伝わっているというのも面白いですね.本来ならば,瓢箪から驢馬なのかもしれません.

それで,この張果老はロバに後ろ向きに座ったということが本日の話のポイントです.「張果老」で画像検索すると,実際後ろ向きにロバに乗った絵がいくつか出てきます.なぜ張果老は後ろ向きにロバに乗ったかというと,千年後の社会では,人々は道から離れ世の中は乱れていくだろうと考えていたからです.要するに,時間が進むことは前進ではなく退化であると考えていたのです.だから,自分だけでもその流れに背きたかったのでしょう.

パレートフロントも便宜上前進とは言っていますが,それが真に進化であるかはわかりません.便利になった世の中が必ずしも私たちを幸せにしているわけではないのは多くの人が共感することだと思います.

とはいえ,それこそ先週お話ししたようなウィルスでもなければ,どこかをみて進む必要があります.張果老は後ろを向いたのはそこに道があったからです.ここで言っている道は「みち」ではなくて「どう」ですよ.儒教になると,道は道徳的規範のような人を縛るものに繋がっていきますが,中国哲学の根本思想で,大宇宙の根本原理とでも考えてください.

そういえば,私高校時代は柔道部だったんですが,先輩に柔道はスポーツではない,道なんだと散々言われましたが,今になるとようやくその意味がわかってきました.

統計的問題解決ではパレートフロントの根本には最適化の定義があります.どんなに素晴らしいイノベーションを達成したとしても,本来の目的を忘れてはならないのではないでしょうか.

ここで色々と道を忘れて失敗したイノベーションの例をあげると説得力が増しますね.ここまで書いて,我が家にあるApple製品を思い出しました.それをこれから探して,来週お目にかけようと思います.物持ちがいいのでまだ動くはずなんだけど...

それではまた.

統計的問題解決研究所

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