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鉄パイプ無双が笑えない理由:レフトアライブ考察漫画

お姉さんが鉄パイプで戦車をボコボコにするゲーム。そう、ちょっと前に話題になったレフトアライブ。愛すべきおバカゲーとして昨日ゴートシミュレーターを取り上げたので、今日は好対照として愛せないクソゲーとしてのレフトアライブに触れたい。

レフトアライブはタイトルが示すように、戦地に残された敗残兵の物語だ。生き残ってしまったことを呪いたくなるほどの凄惨な脱出劇を、それは予感させる。その予感を裏切らず、ゲームバランスは、かなりキツく設定されている。

ゲームの存在価値の一つとして非日常体験というのがあると思う。従って、今の日本ではまず我が身には降りかからない「自軍が壊滅するとどうなるか」という、筆舌に尽くしがたい悲惨な体験を提供するゲームは、あってもいい。

だが、並外れて辛い体験を強いるなら、緻密に計算され、完成された世界観に引き込んで没入させる説得力と、キャラへの共感、先が気になるストーリーなど、続けさせるための何らかの魅力が必要だ。でないとユーザーは投げ出してしまう。

レフトアライブの世界観は。ちぐはぐ。イラストレーターはいい仕事をしたのに、ゲーム画面は昔の3DCGソフトのプリセットの寄せ集めのように統一感がない。敵の動きがファミコン時代のようにぎこちない。そのくせ索敵能力が異様に高い。なのに反応には知性が感じられない。そしてそんな敵を相手に苦行を強いられる理不尽さ。

それでもストーリーが引き込んでくれれば、と思えば、会話の選択肢と結果がユーザーの期待を裏切る。助けようと思った民間人があっさり死んでしまう。ゲーム慣れしたユーザーが容易に正解がわからないように、とのことだが、これ、おかしくないか。このゲームを作った目的は何なんだ。ユーザーを出し抜くことなのか。昔から一定数いる、ユーザーが楽しむと損したように感じる類の開発者なのか。

そして、鉄パイプ無双である。蜘蛛の子一匹這い出すのさえ難しいような圧倒的な敵の包囲網を演出するならば、こんな間抜けで杜撰な穴は、あってはならなかった。

ヤギのポンチな動きは、想定内だ。しかも、それがゲームの売りでもある。進行に影響のない面白いバグはあえて放置してある。つまり、開発者は、それなりにやり込んでいる。そこには愛がある。レフトアライブの開発者は?やり込んでいるか。そうは思えない。だが、バグ出しは金で買えるのだ。テストプレイを、せめて十分にさせたのか。そうも思えない。ユーザーに近年稀に見る艱難辛苦を強いる一方で、それはあまりにも雑ではないか。だから笑えないのだ。おねーちゃんがパイプで戦車ボーン!は、ヤギが車を頭突きで吹っ飛ばすようには、笑えない。

雑、そう、レフトアライブの問題を俯瞰すると、つまりは雑なのだ。なぜ雑な印象になるのか。それは、結局トップに大所帯をまとめるビジョンと情熱が欠けるから、ということになるかと思う。ウィッチャー3のような巨大なプロジェクトが、細部にわたってあれだけの高いレベルを維持することが可能だったのは、それがあったからだろう。

ビジョンがない、愛がないとは、結局どういうことか。「こんなゲームを作るぞ!」という明確な目標と、それを追求する情熱、と、言い換えればわかりやすいかもしれない。そのどちらが欠けてもいいゲームにはならない。レフトアライブには両方が欠けているようだ。「レフトアライブ」を「今のスクエニ」に置き換えても全く違和感がないことを残念に思う。

鉄パイプ無双が笑えない理由:レフトアライブ考察漫画
絵面だけならおバカなんだけどなあ

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